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世界三大珍味の一つの高級食材「キャビア」は、チョウザメの卵だ。天然ものは深刻な絶滅の危機に直面しているため、中国やロシアなどを中心に養殖が行われているが、非常に手間がかかる上、不安定さを増す国際情勢で価格高騰が続いている。そんな中、近畿大チームは世界で初めて、キャビア目的の養殖を飛躍的に効率化できる幻の「超雌(ちょうめす)」というチョウザメの生産に成功。庶民的価格の日本産キャビアの登場につながりそうだ。
乱獲の影響で絶滅迫る
キャビアは、チョウザメの成熟した卵巣を取り出してほぐし、塩漬けにしたものだ。色合いから黒いダイヤモンドと呼ばれ、濃厚でふくよかな味わいが珍重されている。ロシア宮廷料理の定番であるだけでなく、世界中の華やかなパーティーに欠かせない存在だ。
ただ、そんな人気ゆえに乱獲が続き、チョウザメには絶滅の危機が迫りつつある。国際自然保護連合(IUCN)は今年7月、絶滅が危惧される世界の野生生物を示す「レッドリスト」の最新版で、計27種のチョウザメ類が深刻な絶滅の危機にあり、そのうち2種の野生個体が既に絶滅したなどと発表した。
実際、欧米の国際研究チームの調査では、世界の天然キャビア生産量は、1984年のピーク時に3400トンを超えていたが、2000年代初頭には数十トンに下落している。
現在、市場に流通しているキャビアは、ほとんどが2004年ごろから出荷が本格化した養殖ものだ。17年時点の養殖ものの生産量のトップは中国で、年間100トン。以下、ロシア49トン、イタリア43トン、フランス37トン、ポーランド20・4トンと続き、日本は23位で2トン。ただ、全体の生産量は400トン程度にとどまる。
手間も時間もかかる養殖
養殖キャビアの生産量があまり伸びていないのは、チョウザメ養殖は非常に手間と時間がかかるからだ。そもそも目的は卵巣の採取だから雄は不要なのだが、孵化(ふか)時の性別はほぼ半々で外観からは判別できない。
そのため、3年程度育てて性的な成熟が始まったころに1匹ずつ開腹して生殖腺を調べ雌雄を確認。雄は魚肉として安く出荷し、雌は縫合して養殖池で育成を続ける。卵巣を採取できるようになるには、大型種で孵化から10年以上、中型種でも約7年が必要という。
そこで近畿大の研究チームは、キャビア生産を効率化するため、雌だけを育てる方法を模索。孵化した稚魚の餌に大豆イソフラボンを加えることで、雄を雌に性転換させて全雌化を実現する方法の開発に成功したが、もっと根本的な手法があるのではないかと検討を重ねていた。その結果、たどりついたのが、「超雌」という、雌の稚魚だけを産む幻のチョウザメだった。
人の性別の決定にかかわる染色体はXとYの2種があり、XXのペアで女性、XYのペアで男性になる。これと同様に、チョウザメの染色体はZとWの2種があり、ZZで雄、ZWで雌になる。雌にはW染色体が必要ということだ。
雌雄それぞれの生殖細胞の染色体は、減数分裂でいずれか片方だけになる。精子は必ずZで、卵はZかWのいずれかだ。そのため通常の繁殖では、雌雄が半数ずつ産まれることになる。
雌性発生で超雌が誕生
ところで、減数分裂で作られた魚の卵には、本来の染色体のほか、通常は使わないZ、Wいずれかの染色体が入っている。もし、精子に受精能力があるにもかかわらず染色体が壊れていた場合、外部から温度や圧力の刺激を受けると、これら卵由来の染色体同士が結び付き合う「雌性発生」という形で稚魚が誕生する。
その際の染色体の組み合わせはZZ、ZW、WWの3通りになる。WWの組み合わせは通常は存在しないが、その卵に雄の精子を与えて次世代を作ると染色体は必ずZWになり、産まれる稚魚は理論上、全て雌になるはずだ。
このWWの雌が、雌の稚魚しか産まない「超雌」のチョウザメだ。雌性発生の際に産まれている可能性は指摘されていたが、ZWの雌との違いを長い間、立証することができず、幻の存在とされてきた。
立証できなかったのは、これまでのチョウザメ研究は雌を重視するあまり、雌に必要なW染色体の解析は進んでいたが、雌に不要なZ染色体の研究は進んでいなかったからだ。WWの個体であることを証明するには、遺伝子解析で、Z染色体が含まれていないことを示さなければならない。
Z染色体の解析で立証
そこで、研究チームの木南(きなみ)竜平・近畿大助教はZ染色体の解析に取り組み、遺伝情報の特徴を解明。その上で、受精能力はそのままに、紫外線処理で染色体を破壊した精子を卵と受精させ、温かい水の環境に置いて雌性発生を起こさせた。
得られた稚魚112匹の遺伝子をPCR検査で解析したところ、21匹がZZの雄、66匹がZWの雌、そして25匹がWWの超雌であることを突き止めた。超雌の獲得も確認も、成功したのは世界で初めて。
今回獲得した超雌は、遺伝子解析に使用したため生き残っていない。そのため今後は、超雌だけを長期間にわたって飼育し、きちんと成熟して雌の稚魚だけを産むかどうか、実際に確認する計画だ。超雌の選別は、稚魚の体表の粘液に含まれる遺伝子を解析し、生きたまま判別する方法を既に開発済みだという。
また、今回は約7年で卵巣が成熟するベステルという種類の中型のチョウザメを使ったが、今後はきちんと育って雌だけを産むかどうかを一刻も早く確認するため、約3年で卵巣が成熟する小型のコチョウザメを使うことを検討している。
研究を指揮した稻野(いねの)俊直・近畿大准教授は、「超雌をきちんと親魚まで育成し採卵できれば、雌だけの養殖が可能になり、キャビア生産が飛躍的に効率化する。早く生産システムを確立し、安価でおいしい日本発のキャビアを世界中に届けたい」と話している。
筆者:伊藤壽一郎(産経新聞)
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2022年10月29日付産経新聞【びっくりサイエンス】を転載しています